ふみあそび ~ 史遊び ~

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「奥田栄之進翁之訟徳碑」と「波村仁太郎翁訟徳碑」

「奥田栄之進翁の訟徳碑」と「波村仁太郎翁之訟徳碑」

いちき串木野市西浜町境内

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大正8年(1919)に結成された築港期成同盟の功労者二人の訟徳碑と略歴。

下は略歴を起こしたもの。

 

奥田栄之進翁略歴 一八六四年 元治元年生

         一九四五年 昭和二〇年没

 翁は奥田精蔵の二男として当市麓に生まれる。性来経理に明るく、政治家として―一八九九年明治十三年県会議員当選以来国会議員・貴族院多額納税議員等三十年間―また鹿児島新聞社長・南薩鉄道社長として、郷土の文化産業に尽くした。たまたま一九一九年大正八年当市水産界は大飛躍し、築港期成同盟が結ばれ、保木重五郎・吉武良太郎・宮之原重・中尾武八・浪村仁太郎・野元謙介・前田仁太郎・肝付篤・大久保金次郎・奥田栄吉・松田宗次・江藤栄助の諸氏と共に実行委員に推される。翁は当時代議士として専ら国会方面に奔走の結果、八八万円の国庫補助に成功し、総工費二〇五万円余をもって、昭和十二年第一期工事は竣工し串木野漁港が今や遠洋漁業の南方基地としてゆるぎない地歩を占めるに至った功績は、実に負うところ大なるものがある。  

    一九六三年五月吉日 記

 

波村仁太郎翁略歴 一八七〇年 明治九年

         一九三一年 昭和二六年没

 翁は一八七六年明治九年当市西浜町に生まれ、十才頃から一本釣漁業に励み、二十代には遠洋漁業に志し、朝鮮沖のさば漁業や運搬業にも従事した。翁の誠実と豪気と明敏さはよく当市水産界の進路をあやまたず、一九一七年大正六年帆船を県下二番目の有水式石油発動機船に改め、つづいて県下最初のトロール漁業を玄界灘に展開する等、新時代の行く手に新しい灯をともした。一九一九年大正八年同志と築港期成同盟を結び、大串木野漁港建設に生涯の夢をかけ、当市の漁業を盤石たらしめた。翁はまた本浦漁業組合長を十年間・村町会議員を十八年間、その他地方自治体警察初代公安委員等に歴任し、一九三五年昭和十年には県水産功労者として天皇陛下単独拝謁の光栄に浴した串木野水産界の大先覚者である。

   一九六三年五月吉日 記